しあわせヨーガ埼玉ヨーガ禅道友会がお送りしたヨーガ教室
角田照子が91歳まで現役でヨーガを広めていました。
埼玉ヨーガ禅道友会
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ようこそヨーガへ!
健康と幸せをもとめて
ヨーガはインドで生れ、四千五百年の歴史を経て、日本に伝わってきました。
この長い間に聖者や導師が現れ、それによっていろいろなヨーガの流派ができ、発展し、現在に承継されています。
紀元十世紀ごろ、ゴーラクシャ・ナータ聖者を開祖と仰ぐ一派があり「ハタ・ヨーガ派」という名でよばれていました。ハタ・ヨーガは身体の修練を中心としています。体操と呼吸法を修習してゆくうちに健康になり、心にもよい影響を及ぼし、それが瞑想の修行に役立つことがわかりました。そこで瞑想を本命とし、解脱の境地を求めてゆく「ラージャ・ヨーガ」にとって「ハタ・ヨーガ」は予備部門と考えられるようになりました。健康と心のやすらぎを求めて今行われているヨーガはこの「ハタ・ヨーガ」です。
ヨーガの原語はサンスクリット語の「ユッジ Yuj」で「つなぐ」「結びつける」という動詞です。それは瞬時もじっとしていないで動き廻る心をあばれ馬に例え「馬を馬車につなぐ」という意味です。
『ヨーガ・スートラ』を開きますと、冒頭に「ヨーガとは心のはたらきを止滅することである」と定義されています。「心のはたらきを止滅する」とは心をどのように制御、コントロールするのであろうか。ヨーガの本命といわれている解脱の境地を求めてゆくにはどのような心理操作があるのであろうか。心の一番奥にある真我を開発するには・・・と考えてゆくと凡人には近よりがたい異国の特殊で困難な道という思いをヨーガにいだきます。
インド哲学者、宗教者でいらっしゃいます文学博士、佐保田鶴治先生はヨーガの聖典をサンスクリット語から訳され、解りやすく注解を加えヨーガの経典を出版になりました。
先生は六十二歳からヨーガ行法を始められ、健康になられました。先生の深い学識と智慧、行法実践のご体験の中から、老若男女誰でもが解り、実践できるように、「ヨーガ思想」「ヨーガの目的」「行法のやり方」を日本人の心情にとけ入りやすいように「ヨーガ禅」として教示しました。佐保田先生のヨーガ禅は、昭和五十年頃からのヨーガ・ブームの波にのって日本全国に広がっていきました。先生の亡きあとも「ヨーガ禅」は多くの人々の心と体の支えとなって今も受け継がれております。
埼玉ヨーガ禅道友会元会長角田 照子

角田照子 略歴
1925(大正14)年9月15日、北海道帯広市生まれ
1973年、大阪大学名誉教授・日本ヨーガ禅道友会会長の佐保田鶴治氏と出 会い、15年間「ヨーガ禅」を学ぶ
1977年〜2013年「東信ヨーガ禅教室」のヨーガ講師をつとめる
1978年、浦和市(現さいたま市浦和区)に「埼玉ヨーガ禅道友会」を創立
*渡印50回に及び、ヨーガの本場を視察
*埼玉ヨーガ禅道友会会長、日本ヨーガ禅道友会教師、しあわせヨーガ板橋主宰
2016年(平成28)12月24日 逝去(満91歳)亡くなる日までヨーガ教室でヨーガ指導を行うほか、全国、海外の公演活動もこなしていた
45歳位の頃、身体の不調に苦しんでいたところ、作家の広池秋子氏が月刊武州路に「秩父巡礼」の企画を執筆するために秩父市に毎月訪問していたがその取材に同行した。その際、ヨーガを実践していた広池氏との交流の中からヨーガの魅力を認識する。
丁度その頃、京都では佐保田鶴治氏によって日本ヨーガ禅道友会が設立されたために同会に入会、佐保田鶴治氏から直接ヨーガの手ほどきを受ける。その後、同道友会の教師となり、亡くなるまでヨーガの普及に尽力した。
ヨーガ教師としての活動内容は、広範に渡ったが、東京信用金庫の理事長が佐保田氏に健康上の相談をしたところ、佐保田鶴治氏は角田照子を東京信用金庫に派遣し、毎月理事長に直接ヨーガの講習を行った。これによって理事長はすっかり健康を取り戻し、ヨーガのすばらしさを認識。東京信用金庫の全支店にヨーガ教室を設立し、角田照子を専任講師に迎えた。
その後、埼玉ヨーガ禅道友会の設立したほか、しあわせヨーガ板橋を設立するなど活躍の場を広げていった。さらに北は北海道から南は沖縄に至るまで全国で公演を行うほか、イギリスのロンドンでの教室も行っている。
ラジオ放送や各種メディアでのヨーガ紹介、サントリーの広報紙などにも出演している。また、亡くなるまで埼玉県のタウン誌である月刊武州路にヨーガの記事を連載していた。
著書は「しあわせヨーガ」(冨士フォルム刊)・「図説しあわせヨーガ」(めるくまーる刊)など